実家裏は土手なのです。
雲が近くに感じるこの景色を見る度、Mongoliaを思い出す。
私は桜や菜の花を眺めるというよりは空や雲を見て撮る方が好きで
春はひたすら空にばかりカメラを向けていたなぁ。
実家で過ごした年月は忍耐以外の何物でもない時間で、非行にも走れず、
ただただありとあらゆる精神的苦痛に耐えていました。
出来る限り家に居たくない為、必死でアルバイトをして家で過ごす
時間が減る様に仕向けていた高校時代。
どうしても耐えられない時はひたすら土手で泣いていました。
毒親に育てられた人は何処にSOSを出せば良かったんでしょうね。
私はもう両親が他界しているので当事者ではありませんが、ふと思う。
少なくとも私は傍から見たら毒親に育てられている風には見えてい
ないという自信がありました。
親と仲良さそう、いつも明るいもんね!
友人から言われる度にどう答えて良いか分かりませんでした。
家では監視下に置かれ、実子なのに合宿所の様な生活をしていました。
・父親には敬語が基本
・風呂は決められた時間内に入らないと怒鳴られる
・TVはNHKのみ
・消灯21時 21時以降電気点いてたら怒鳴られる、殴られる
・食事中TVが見えない位置に座っていると怒鳴られ蹴られる
これが実家に居た頃の365日のbasicです。
穏やかな口調で父親から話しかけられた記憶が一度もないのです。
親子で団欒というのが一度もないのです。
名前を呼んで貰った記憶も正直ないのです。
・Christmasなし
・誕生日のお祝いなし、というかスルー
・小遣いはテストで満点、もしくは検定合格
精神科医ですら顔に出てしまう位の悲惨な家庭だったので
basicしか書くことが出来ないけれど。
知人や友人に親と不仲という話になった時に気軽に話せるのは
ここまでです。
よく非行に走らなかったね…と思われがちですが、走らないです。
仮に思いつく簡単な非行に走ったとしましょう。
家出する→補導される→親に連絡が行く
万引きする→親に連絡が行く
未成年である以上、何か問題を起こせば必ず親が絡んできます。
毎日の怒声や暴力に加え+αを回避する為に大人しくする他なかった
のです。
実家に帰ると安心する、実家に帰ると懐かしい、という感情は私
には皆無、寧ろ真逆です。
一番帰りたくない場所が私の場合、家でした。